ささくれた心のはきだめ。

語学と部活動、その他諸々に忙殺されている大学生の戯れ言を綴った日記です。

夏の思ひ出。①

こんばんは。
先日、とても濃い一日があったので、それについて書きます。
今日は、友人との思い出編です。何回かに分けるので、お付き合いいただければ幸いです。

事の発端は、同じ学科の友人が、7月に帰国してしまう留学生との思い出作りに私も誘われたことでした。ジブリ森美術館、築地、カラオケなど様々な候補が出ましたが、最終的には浴衣を着てお祭りに行くことになりました。

当日の午前中は死んだように眠り、二度寝三度寝を繰り返していましたが、午後からは友人宅で悪戦苦闘しながら浴衣を着ました。特に帯が大変でしたが、あーでもないこーでもないと着ていたのは、今振り返ればなかなか楽しかったです。

その日行ったお祭りの名前はみたま祭りといいます。このお祭りを既に何かご存知の方もいるかもしれませんね。私は(恥ずかしながら)今回初めて知りました。
みたま祭りとは、靖国神社にて数日間、夕方から夜間にかけて開催されるお祭りです。見どころとしては、やはり鳥居から先の境内にずらりと並んだ提灯ですね。

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(スマホで撮影したものなので今一つですが、参考までに。)

この提灯の並んだ通りを進んだ先には、盆踊りが踊られる円形の舞台?があります。そして!それをぐるりと囲むように並ぶ数々の屋台。

提灯の通りを過ぎた後、私たちは舞台上で踊る人々の見よう見まねで友人達と盆踊りを踊って楽しみ、夕飯を買う
…のが、本当に、本当に大変でした。

茹だるような暑さの中で盆踊りを踊っていたため、既にべっとりとした汗をかいていて、その状態で人混みをかきわけなければならないのは堪えました。
特に混雑の酷い屋台の前では、満員電車の中を押し進んでいる感覚でした。なかなか思うように買えず、結局手分けして買ってくることに。
かなり時間はかかりましたが、待っている間に留学生とアニメの話などが出来た事は良かったなぁと思います。

スムーズに行かないこともありましたし、特に留学生の人達にとっては慣れないこと続きで、楽しんでもらえたかとても不安でしたが、楽しかったと行ってくれて少しほっとしました。

あまりお腹を満たせなかったので、お祭りのあとにファミレスに寄ることにしました。自宅で浴衣を着てきた1人とは別れ、残りの面々でちゃんとした夕飯と座れる場所を求め、サイゼリヤに行き着きました。
サイゼリヤの価格破壊の仕組みが、いつも不思議でなりません…(トマトリゾット美味しかったです。)

ここまでは、ただ、良いひと夏の思い出ですが、私にとって濃厚な一日たらしめたのは、実はこの後のことでした。
ですが、そのことについてはまた次の機会に。


それでは皆様、よい夢を。

愛用しているもの

https://blog.hatena.ne.jp/suika3390/suika3390.hatenablog.com/edit?sidebar=twitterお題「愛用しているもの」

 

こんばんは! 

今回は、初めてのお題スロットを利用した記事です。

私は物持ちが本当に悪いです。そしてよく物を失くします。

そのため、長い間使用しているものはかなり限られてきます。
その中で「愛用」というのが一番しっくり来るのは、SONYWALKMANですね。

型はNW-E063,容量は約4GB。

買ってもらった年は明確には覚えていません。ただ、小6の頃には持っていた記憶があるので、かれこれ8年以上の付き合いになります。

青色の機体なのですが、ボタンの文字はもちろん青色の塗装も擦り減って白っぽくなっていますし、何度も落としてしまったせいで角は銀色になってしまっています。

更に、水をかけてしまった、水没させてしまったこともあります。

バッテリーなんて替えたこともありません。

こんなぞんざいな扱いで、今日も頑張って動いてくれることが不思議でなりません・・・

 

ところで、4GB というと皆さんはどう感じますか?

私自身、正直4GBはとっても少ないと感じています。新しいアルバムを買う度に、音楽プレーヤーの中の曲を厳選しなければなりません。一曲が長い交響曲はなかなか入れられません。(本当は外でももっと聴きたい…)

ただ、高校生の頃に音楽プレーヤーに入っている曲数(現在723曲、当時は600台?)を友人に伝えると「え、めっちゃ多いね」

という反応が返ってきました。

確かに600曲700曲と書くと、とても多いと感じます。短いinst曲もあるからでしょうか。


買ってもらったばかりの時は嬉しくて仕方なかったのに、こんなにぼろぼろにしてしまい、さらにその容量に不満を抱いている有様ですが、それでもこのウォークマンは、私にとってとても大切な相棒です。

音楽だけでなく、ラジオも聴けて、よく聴くチャンネル(Hz?)は登録することも出来ます。便利!


それに、ウォークマンを持っていろんな場所に赴いた思い出がたくさんあります。

 

友達と暗くなるまで遊び、別れた後の帰路でのなんとなく寂しい気持ちを紛らわすために聴いた思い出。

本当は持ってくることを禁止されている修学旅行のときに持ってきて、バスの中ででこっそり聴いた思い出。

一時期しか続かなかった早朝のランニングで、自分の煩い鼓動と共に曲を聴きながら走った思い出。

友人に曲を布教する時やお互いに好きな曲を聴く時に、片方ずつイヤフォンをつけて聴いた思い出。

受験勉強で遅くまで勉強して、普段は英語を聞いている耳への束の間の娯楽として、帰り道に好きな音楽を聴いた思い出。

海外研修での飛行機の中や、ステイ先で眠る前に曲を聴いた思い出。

ぎゅうぎゅうの電車に乗っている、手持無沙汰になる辛い時間を乗り越えるために曲を聴いた思い出。

 

ここ1, 2年はスマホYouTubeを開き、そこから曲を聴くことも増えたので、出番は少し減っているかもしれません。

本来あるノイズキャンセラーが使えないのは、寿命が近いということなのかもしれません・・・

 

それでも、これからも、このウォークマンを持って色んな場所に行きたいです。

 

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明日も、よろしくね。

 

 

 

それでは、良い夢を。

心。

こんばんは。

心。気持ち。精神。思想。
健康で文化的な生活を送る人間と、切っても切り離せないものですよね。
素敵な心があるから人生は豊かになりますし、逆に心が乱れれば人生もどんどん荒んでいくものです。


人の気持ちというものは、どう頑張ってもその本人にしか分かりえないものだと思います。
それは、いくら言葉を尽くしても、同じ人生経験と同じ体験下で感じていないから、本当に気持ちを共有できているか分からないという考えでもあります。
ある二人の人間が同じ料理を食べて、二人とも「美味しい!」と言ったとしても、その美味しさの程度は違う可能性があります。その味にどことなく懐かしさを感じているかもしれませんし、初めての味だと感じているかもしれません。 その味の具体的にどこがいいのか、という好みも違うかもしれません。
言葉というものはとても素敵な人の道具だと思います。しかし、自分の言いたいことが伝わっていないと、日頃良く感じる私からすると、その人の力量次第ではすぐに限界を迎えてしまうものだとも感じています。

ただ、私が、人の気持ちや考えというのは本人にしか分かりえないものであると強く思うのは、言動で表された気持ちの正解は、その心を持つその人にしか確かめようが無いという考えが元でもあるのです。
いくら言葉を尽くしていても、いくら態度で示していても、それが本当だという確証はどこにもありません。その人がとてつもないペテン師であるかもしれません。
愛してる という言葉が本当の気持ちなのか、そんなのは発したその人にしか分からないのです。
ましてや、その人が精神的に病んでしまい、自分の感情というものがよく分からなくなってしまっていたら、いよいよ人の気持ちというものは、誰にもわからないのかもしれません。

それは裏を返せば、自分の気持ちを証明するということは、とてもとても難しいものだということです。
日々生きている中で見る、人のとびきりの笑顔や涙は、そこに疑う必要性を感じていないからこそすんなりと受け止められていますが、その人が今まで一度も自分に本当の気持ちを見せていないという可能性を完全に否定できる術を、私は知りません。

だからこそ私は、人との信頼を築くということはとても尊いものであるとも感じています。
人の心が、他人には真には分かりえないものであるからこそ、信頼しあっている関係が尊いものになるのでしょう。
人生の中で誰かとそういう関係を築くことが出来ることを祈りつつ、今回の文章をしめようとおもいます。

追伸
精神的な心(heart)がある、とよく想像される場所は、漢字の通り心臓のあたりかと思いますが、国(文化圏)によっては肝臓だったりするそうです!興味深い…

それでは、よい夢を。

無視。

こんばんは。

無視って言葉自体のイメージは嫌なものですけど、したことない人なんていないと思うんです。
いじめを無視するとかそういうレベルに限らず、無視って色々ありますよね。
歩いているときの信号無視。
何となくだるくてしてしまう未読無視。
嫌な相手からの連絡への既読無視。
(私はこういう理由で既読無視したことはないですね…返信を考え込んで時間が空き、結果既読無視をしたことは何度かあります。ごめんなさい!)

あとは、まぁ、下らない罵倒を無視するだとか、そういうものは人生を有意義にするためにもきっと必要だと思います。
そんな風にできる強さを私も身につけたいものです。


発してくれたことに対して無視するって、自分が受けたら悲しいのに、どうしてついしてしまうんでしょうか。ただただ私の人間性に問題があるのでしょうか。
たまに、何もかも嫌になってLINEも溜め込んでしまうときがあります。大抵は翌日には全て返信してますが。
でも、いざ自分が受けると、無視は本当に居心地が悪いものです。
返事が来るまでずーっとそわそわして、私何か悪いことしたっけ?何か変な事言っちゃったのかな?とどんどん想像が膨らんで他のことに手がつかなくなってしまう。
色んな人にも同じような思いをさせてきたのかと思うと罪深いことですね。精進します。

この記事を書いている今、まさに返事が来ないという事態で悩んでいるわけなのですが…(笑)
次会ったときに普通にお話してくれると嬉しいんだけど、どうだろうなぁ… その人と会う日が待ち遠しいような、来て欲しくないような。

無視されることを一旦無視してやるべき事をやれるような強さを身につけると共に、人にされて嫌なことは、疲れているからなどと言い訳せずに、しない努力が必要だなぁと思います。因果応報って言いますし。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

それでは、よい夢を。

人間不信。

こんばんは。
こんなブログをわざわざ見つけて下さり、ありがとうございます。
暇潰しにでも読んでもらえれば幸いです。

最初の記事からなんだか重いなぁとは思うけれども、人間不信について書こうと思います。
日々の人付き合いやSNSでもやもやが溜まって気づいたらブログを開設していたので、この内容で投稿します。
題名の通り、じめじめした内容が続きます。万が一気分を害してしまったらごめんなさい。


私自身、人間不信だなぁと思うときと、やはり自分は単純な人間だと思うときがあります。

前者についてですが、私は人からの好意をあまり素直に受け取れません。お世辞だとか、本当は大して好きじゃないんだろうなとか、すぐに疑ってしまう。
毎日のように「好きー!」って言ってくれるような人は(人生史上3人ほどいます)、それが嘘だと流石に怖すぎるということもあって信じますが、普段普通にお話してくれる、自分が友人だと思っている人達は、私の事を本当はどう思っているのか。
嫌いなのに私が来たときに「対応」してくれているだけなんじゃないのか。裏では散々な言われ方をしているんじゃないのか。

このように日々疑いがつきません。嫌な人間になったとつくづく思います。
大半は家に帰って一人でいるときにこの疑念に悩まされるのですが、この疑いの呪縛に囚われたまま人と話しているときは辛いです。相手の笑顔も、発せられる言葉も、引き攣った不自然なものに見え始めて苦しい。

大人な人からすれば馬鹿らしいかもしれないですね。でも、この呪縛を呪縛と捉えて、そんなことないんだよー! って考えようとすると、私ごときが何を思い上がっているんだと思い、抜け出せない。

書いていて面倒くさい人間だなとは思います。ほんとに、どうしたらいいんでしょう。(笑)

褒められたときにもぎこちない対応しか出来ず、申し訳ない気持ちとともに、でも嘘なんだろうなぁ…素直に受け取ると気持ち悪いかなぁ…とも考えてしまいます。

それでも、褒められたり、自分の振った話で相手が笑ってくれると嬉しい。そんな所を見ると、後者のように思うんです。特に、自分がふざけたりして相手が笑ってくれることにはとても幸せを感じます。ほんとに、自分が関わる人には笑っていてほしいものです。

もしかしてそういう職業(芸能人)は自分にとって天職なのでは?と自問したことがありますが、センスもない上に心が弱すぎるので、持たずに発狂して自殺しそうなので無理ですかね!(笑)

話を戻します。
自分は人間不信かと言われると、そうではない節もあると思うのですが、そもそも人間不信はどこから湧いてくるのか。
これは、人間不信というのになった契機にもよると思うので一概には言えませんが、特に私の場合は自分不信であるところが大元にあると思います。
人に何度も裏切られたりして「もう何も信じられない…頼れるのは自分だけ。」という理由で人が信じられない人もいるとは思います。
「裏切り」に関してはそんなに酷いものに遭ったことはないので、私はそういう理由ではないなぁと思っています。
私の場合、「本当は、人は私のことが嫌いなんだ」という思いから信じられなくなることが多いので、それはやはり自分を信じられるようになるしか、克服するすべはないのかなと、最近思います。

ではどうすれば自分を信じられるようになるのか。

…分かりません!
歌や絵など、まだまだ拙いのは充分承知ですが、これまでそれらを理由に人に褒められた経験や自負から、どこかで少しばかり自分に自信は持っていて、でもそれを否定したい自分もいて…という状態なので。
自分のありのままを認めて、他人の考えも認められ、素直に受け止められる人は、本当に素晴らしいと思い、憧れます。
いつかそんなに人になれたらいいなぁ。